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2012年9月

2012年9月30日 (日)

争いのタネはそこここに。

湯船で。ハルが「洗顔石鹸泡立て用スポンジ(←私の)」で遊んでいたら、ナオがそれをひょいっと奪い取った。
「ちょっとー!それ、パルが今、遊んでたやつだよ!」とハルがいうと
「なおちゃんだってねぇ、、、昨日、遊んでたやつだよっ!」とちょっと考えてナオ。

おおお!ナオってば上手いこと言うなぁ、、、

と感心している場合じゃなくて(ハルも私も一瞬ひるんだけども)、、、092912_2



自分の正当性を主張しているハルが、無法者のナオに「全く相手にされていないこと」が悔しくて泣きそうになっているので(なぜだ)、仲裁。

(ハル曰く「もう、、、ナオちゃんは『中国』だなー」と。「そういうことは、思ったとしても、口に出すもんではない」と注意しながら、、、「小2の中国イメージ」が、こうなっちゃってるのは、、、将来的によろしくないよなぁと憂いつつ、、、こちらもまた上手いこというなぁと感心。)

君たちの争いのタネは、そもそも「私のモノ」であることを確認して、ナオが責められるべきは「ひょいっと奪った、その方法」であると注意。

そんな「小さなスポンジひとつ」でケンカせんでも、と思うし、、、
「ひとつのもの」を仲良く使ってくれよ、と思うし、、、
ケンカの最中は「スポンジでふたりとも遊べないんだぜ」と思うし、、、

・・・世の中には、大なり小なり、色んな種類の「争いごと」があるけれど、なんか本質的にはどれも一緒なんじゃないかなぁと思う。

普段は、ふたりとも、とっても仲良しなんだけどね。

2012年9月26日 (水)

平和の礎。

気になるモノも違うし、目にはいる景色も違うけど、
手をつないで、一緒にいこう。090112

違いを認め合い、違いに感謝し合って、一緒にいこう。

この先に何があるのかよくわからないけれど、一緒なら、大丈夫。

隣の人と、手を携えて、小さな平和を創ることからはじめよう。
そうしたらきっと、気づいたときには大きな平和ができている。

・・・って、思った。

そんな悠長なことを言ってられないって批判されるかもしれない、、、でも、やっぱり、地道に、人と人が、実感として仲良くなってないと、、、
言葉だけの「友好関係」なんて脆いもんだよ。

・・・交換日記でハルが書くページには、最近、「戦争に対する疑問」が多い。
こないだは「日本は戦争しないっていっても、中国が攻めてきたらどうするの?攻めてくるのは勝手じゃん」というようなことが書いてあった。

そりゃぁそう思うよね、戦争になりそうって思うよね、今の報道に晒されてるとね。。。

2012年9月25日 (火)

あれかこれか、と言い切れるモノばかりじゃないんだよ。

夕食中、ナオが突然、細い目をして、自分の座席を指し
「ママ、これは、、、イスなの、ツクエなの、いったいどっちなのー!!」と強い口調で私を責めた。。。

・・・どっちか、というと、、、それは、なんとも、、いえません。092512




「えっと、、、『机と一体型イス』くらい、、、かな」とこたえると、

「え?つくえといったいがたいす?つくえとおしっこいったいがたいすってこと?え?つくえとくさいおしっこいったいがたいすってこと?」

・・・いや、それはちょっと、、、おしっこ とか くさい とか、どんどん余分なものが入ってきてますが。

ともあれ、、、色々と疑問を持つことはいいことです。はい。

2012年9月24日 (月)

まず、変わるのは私から。

先々週の半ばから、ハルと交換日記をはじめた。091512_2


2日後、連絡帳に書く文字が、大きく、丁寧で、堂々としたものに変わった(この半年くらい、どれだけ注意しても、練習しても、書き直させても、ずっと「いい加減」な文字を書いていたのに、だ)。

1週間後、ハルが「今日は、ものすごく嬉しいことがあった!!先生に『クラスで一番“色”という字の形が上手に書けてる』と褒められた!!」と満面の笑みで報告をしてきた。

・・・はっきりいって予想外だった。

人は、こんなにも変わるものか、「内発的動機づけ」ってやつはものすごい威力だな、とただただ驚いた(先生が「褒めてくれた」タイミングも絶妙だった)。


***


「交換日記の目的」とそれに託した「想い」は、こんな感じだ。

ハルと話をしていても、結構な確率でナオが割り込んでくる(というか、とにかく必死に邪魔+妨害を企てる。。。私にとっては可愛いけど、、、ねぇ)のでハルのフラストレーションはたまっているだろうから、ハルとママだけの「ナオの入り込めない何か」を日々の生活のうちにつくりたかったというのが第一の目的。

その目的の先(背後かな)には、、、この「交換日記」(=出来事や気持ちを言葉で表すこと)を長く続けていたら、何かを相手に伝えるためには論理的な文章を書くことの必要性を自覚するだろうし(必要を自覚したら、そうなりたいと思うだろう)、

ハルが丁寧で優しい文字と文章を書く人になってくれるんじゃないかなぁ(相手の存在を意識しながら書く文字や文章には心がこもるはずだ)、そうなって欲しいなぁ、

という私の想いとハルへの期待がある。

ハルが夜、私が翌日の日中に書く、という感じを想定していたけれど、、、ハルはすぐに返事をくれて(読んで読んで!返事くれた?とうるさい。。。)、返事を書くとまた、、ということで、初日は何度もノートが並んでいる机の上を往復したけれど(笑)、内容がまたおもしろい。

・・・また宝物が増えた。

2012年9月21日 (金)

想像の世界に没入するナオ。

今、寝る準備をしていたら、ナオが走ってやってきて(オマルでおしっこさせてたんだけど)、、、「ママ!たいへん!ポケモンのクレヨンがおしっこのなかにとびこんじゃった!」と言ってきた。。。「クレヨンじゃなくて、悪いのは誰?」と聞いたら、「なおちゃん、、、ううん、、、なおちゃんとポケモンさんだよ」とナオ。

え?とびこんじゃった?擬人法?落っことしたの言い間違い?

「ポケモンさんがね、『わーいわーい、おしっこのなかにいきたいよう』といってとびこんじゃったんだよ、じぶんでだよ、、、ぽ...

けもんさんが、わるいんだ。なおちゃんはなにもしてないんだけどさ」と、、、聞けば聞くほどに、どんどん話を広げ始めるナオに、、失笑。

「なおちゃんが落としたんじゃなくて?」「いや、ポケモンさんがぴょーんってとびこんじゃったんだよ」「手が滑ったとか?」「いや、だから、ポケモンさんが、、、」

・・・と、何を聞いても「とびこんじゃった」は譲らない。091212




困ったポケモン、、、いや、ムスメだ。

2012年9月19日 (水)

勉強しよう!

パパに部屋の模様替えをしてもらって、ハルの机と私の机を並べてもらった。私は先週から(語学の勉強のような)仕事をさせてもらっていて、夜中と日中の隙間の時間に、せっせとPCに向かっているのだけれど、、、

土曜日、「一緒に勉強しよう」とハル(←ドラゼミをやるように)を誘ったら、、、はじめは、喋りかけてきたり、10分しか経ってないのに「疲れたから30分休憩したい―」と言ってきたり、と、全く集中できなかったハルだけれど、私が真剣に仕事をしていたら(=冷たくあしらっていたら)ハルも集中しはじめ、、、30分後に、「あれ、もう30分たってる!!」と自分でも驚いていた。。

昨晩も30分だけやろう!と私から誘ってお風呂上りに一緒に机に向かったのだけど、今日は「ママ、今日も一緒に勉強しよう!」と言ってくるようになった。

勉強しろ、じゃなくて、勉強しよう、がいいんだな。

2012年9月15日 (土)

ちょっと、、ね。

「ちょっとちいさいかな、、、あ、ちょっとちいさいな091512_2、、、あぁ、、ちょっとちいさいよね」とつぶやきながらのナオ。












・・・ちょっとではなく、だいぶ小さすぎます。

信じる者になりなさい。-水の軌跡

ハルが「水を真上に投げるから見てて」(目的は、楽しいからでしょうかね、、)と言うので見てみると、091512




水が弧を描いて後方に飛んでいくので、、、

「そんな腰の使い方では甘い!」と室内から指導。

ちゃんと「投げ上げ」が出来ていれば、元の位置に戻ってくるはずなのに、わからんのかなぁ。

「びしょ濡れ」になったら「真上じゃない」のに、、、悲惨なほどにズブヌレ。。。

(デジカメって便利!だけど、、証拠を求めず、「聞いて信じる」者になって欲しい。。)。

2012年9月14日 (金)

ハルの言い間違い。

ハルが神妙な顔で「学童で、可哀想な病気の子がいるんだ。目が痒くて、、、でも、掻くと痛いんだって。辛いでしょ。。。それは『おくりもの』みたいな名前の、、、えーっと、、」と言い始めて、一瞬「??」っとなったけれど。。。

「ものもらい」ですな。

・・・確かに「おくりもの」みたい(笑)。081812_2



こないだは「スクランブル交差点」を「ピクニックじゃなくて、ハンモックじゃなくて、、、」と言いはじめて、(最終的には、こういう交差点のことと指差したのでわかった)
、、、どうしようかと思った。
文脈から予想や連想をするのが得意なほうだけど、ハルの言わんとすることは突飛なので、スリリングだ。
*写真は、上のボールだけに力を与えて2つのボールを同時に前に転がすにはどのくらいの力で、どうしたらよいかと試行錯誤のハル。何十回もトライして、答えをみつけたらしかった。すごい。

2012年9月13日 (木)

ナオの折り紙。。。

折り紙で何か作って!とナオに言われたので、張り切って、キレイに鶴をつくったら、「わー♡かわいぃぃ♡♡うふーん♡あはーん♡」と喜んでいたので、他にも何か喜ぶものを、、、と作っていてふとみると、、、

く、くびが、、、は、はねが、、、。091312




毎度のことながら、ナオには驚かされる。

2012年9月 6日 (木)

褒めること。

『ドラゴン桜』の英語講師のモデル・竹岡広信、曰く「叱って、怒って伸びる子はほとんどいない。子どもが伸びるのは褒められたときだけ」と。
しかもこの「褒める」ということ、我々が忘れがちな点は、「タイミングを逃さずに褒める」必要があることで、そうでなければ意味がないどころか、逆効果だということ。

時機を逸して褒めるとき、子どもには「この人は、いい加減な奴だ、適当に褒めて、、、褒めればいいと思ってる」と、そこに底流する下心(褒めることが「手段」になっているということ)を見透かされ、信頼関係が崩れるという。

だから、褒めるのは命がけ(叱るのは誰でもできる)、なんだと。

茂木健一郎は、脳科学的にみても、褒めるのは、脳が喜ぶ一番の方法だけれど「(ほんの少しタイミングを逃したって巧くパックを打ち返せない)アイスホッケー」と同じように、「タイミングがすべてだ」と言う。
タイミングを掴むためには「子どもをよく観察すること」が鍵になるが、もし「褒める機会」を逃したらどうしたらいいのか、という茂木の質問に竹岡は「次の機会を待つ。辛抱して待つ」と言った。

・・・辛抱。辛さを抱える、か。

あぁ、いいタイミングで、いいDVD(『プロフェッショナル 仕事の流儀 “なにくそ!”負けたらあかん 英語講師 竹岡広信の仕事』)に出会えた、、、のは、きっと「問いを発し続け、答えを求め続けている」から、かな。

さ、顔洗って、出勤!

「雑用」とはなにか。

雑用とは、「人間が用を雑にしている時、生じるものなのだ」(渡辺和子『愛と励ましの言葉366日』、p.45)、という言葉が与えられた今朝。

「小さなこと一つ一つに愛をこめていこう。言葉にも。行為にも。愛はそれらをかけがえのない価値を持つものに変えていってくれる。」(同、p.5)

・・・どんな仕事も、「雑用」として括ってしまわないで、愛を込め、大切にしたら、「(主の)御用」になるのかもしれない。さぁ、今日は、全ての仕事を丁寧に行い、相手がどんな言葉を使ったとしても、美しく話そう。

2012年9月 5日 (水)

注意されて、「ありがとう」と言うハル。

ここ数週間、ハルに対して「注意」をしなければならないとき(何らかの失敗や忘れモノをしたとき)、今まで以上に、なるべく優しく穏やかな言葉を選ぶようにしている。

「何度目だと思ってるの?」を「次、がんばろう!」に、「さっきも言ったじゃん!」を「もう一度いうね」に。。。

そうすると、私自身が穏やかな心でいられるのだけど、、、082512

それよりなにより、昨晩、気づいて驚いたことは、、、ハルが私からの注意を受けたときに、笑顔で「ありがとう」と言うようになったことだ。(こないだなんて、「そんなにもママはパルのことを考えてくれているなんて、、、ありがとう」と涙していた。。。それはそれで、困るけれども)。。

・・・数年前、ETVで「小学生の忘れモノ」についての特集で、「厳罰主義は効果なし」(それどころか、自分が大切にされてない感覚を持つだけ)と結論づけられていたことを、最近、よく思い出す。

そこでは「忘れモノをしたら、自己責任だから、子ども自身が先生に叱られたり、気まずい思いをしたり、困ったりすることで反省して、次から忘れ物はなくなる」と考えている親御さんは多いけれど、「そんな子どもは、ほとんどいない」という調査結果が取り上げられていた(自分のことを思い出しても、そりゃそうだ、と思う)。

「自分のケツは自分で拭け」ではなく、保護者が子どもの失敗をフォローして、自身が大事にされているという感覚を養うこと(できるなら「忘れもの」を届けてあげてほしいということ)のほうが、ずっと大切で、そこで子どもが「届けてもらえて嬉しい!しかし、、、悪いことしたなぁ。申し訳ないなぁ」と思うほうが、その後の「忘れモノ率」が下がるということだった(ま、この実験結果にいくばくかの疑問点はあるけれど、、、それはとりあえずおいておこう)。

・・・最近、「厳しい社会に出るための準備として、家でも学校でも『世間と同じような厳しさ(弱肉強食とか、自己責任とか、、)』を教えるべき」と主張する人がいるけれど、、、私はやっぱり、逆なんじゃないかと思う。

自己決定・自己責任論を振りかざして弱い者をますます追い詰め、カネの多少が価値の尺度となり、社会の優勢である階層が「価値あり」とする「部分(=学力)」を取り出して数値化し、序列化をして人に優越感・劣等感を植え付ける、、、

そんな人を代替可能なモノのように扱う「社会」に耐えられるのは、そしてそんな冷酷さを変革していけるのは、優しい家庭・温かい学校で、いのちの尊さや自由の素晴らしさ、平和のありがたさを享受して、現実社会の矛盾に悩みながらも、のびのびと育った子どもたちなのではないか。

学校は小さな社会だし、家庭は子どもにとって初めて経験する社会には違いないけれど、、、学校や家庭が、現実の厳しい社会に迎合する必要なんてない。(むしろ、「厳しくあれ」と主張する人たちは、「こんなに厳しい社会にいる自分」を子どもたちに見せつけて、どうだ、こんなのにオトナは耐えてるんだぜ、偉いだろ、すごいだろ、と言いたいだけなんだと思う。子どもを見ているようで、見ていない。自分を見て欲しいだけなんだと思う)。。。

学校や家庭は、現実を変える勇気と、唯一無二である自己存在の感覚を豊かに育む基地として、優しく、温かくあるべきだと思う。そう、あってほしい。

2012年9月 3日 (月)

人間のできること、すること、していいこと。

飛行機雲と、その周りの「自然の雲」をみて思った。083112

・・・人間は雲もつくれるのか。


雲が出来る「原理」はわかってるし、やろうと思えばこの周りの「モクモク雲」も作れるんだろうけれど、「コスト>メリット」だから誰も作らないのかな。

たいして「夢」もないし、、、なぁ。



そんなことを考えた今日は、ドラえもんの誕生日。

2012年9月 2日 (日)

ナオの趣味。

昨日、刈谷の交通公園で。「わー、これ、なおちゃんの大好きな花だー」とナデナデし始めたのがこの赤紫の葉っぱ。。。090112




横にあるいわゆる「可愛い花々」をおさえて、、、コレ。驚いた。

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