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2012年8月

2012年8月29日 (水)

ボクの生きる意味。

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一昨日の夜、ハルが布団でしくしく泣いていた。「ボクは、、生きている価値があるの?」と。

・・・ど、どうしたんだ、いったい。

あまりに重たすぎる問いが予想外に発せられるとき、本当に「人は目をぱちくりさせる」もんだなーと思いつつ、私は目を瞬かせて、つとめて冷静に「どういうこと?」ときいた。

「だって、ボクは、、ママの役に、、全然たってないじゃないか!ママが『おなか痛い』(←最近、胃腸の調子が悪いんですけどもね、私、、)って言ったって、何もできない。。。。こんなボクは生きている価値なんてあるのか!!」と半ばキレ気味にハル。

「ハルは、役に立つとか、立たないとか、、何が出来るとか、出来ないとか、そんなことは関係なくて、生きていてくれるだけで素晴らしいんだよ」とパパ。

「そんなことないよ、何もできないなんて、意味ないよ!」とハル。

ママ「何もできてないわけじゃないよ。はるくんのお顔をみたら、ママは元気がでるし、がんばろーって思うし、、、はるくんの存在、それ自体がママのためになっているんだよ」

パパとママとで一生懸命に「キミの存在、そのものに価値がある」ことを伝えようと試みるも、、、

「・・・でも、もしボクが産まれてこなかったら、ママはパルの存在自体も知らなかったわけだし、うまれてこなかったら、それはそれで良かったわけじゃん」とハル。

「ママは、ハルくんという人を産んだことで、ママになれたわけで、特別な存在になったんだよ。それまでのママは、他の誰かが代わりになれるような、別にママじゃなくてもいいっていうか、、、そんな交換可能な存在だなーって思うこともあったんだけど、ハルくんのおかげで、自分の人生に特別な意味がくっついた、というか。。。」

「それにさ、はるくんは、いつも『ありがとう』とか『ゴメンね』とか、きちんと丁寧にママに言ってくれるよね、それって他の人にはなかなか出来ないことで、はるくんには、はるくんのステキなところがいっぱいあって、それは皆を嬉しくさせたり、すごいなーと思わせたり、いろんな影響を与えてるんだよ」

と言うと、ナオが突然、ものすごく優しい声で、「パルは、いつもいつもありがとうっていってくれるし、いつもいつもドラえもんみてるし、、いつもいつもドラえもんをみて、いっぱいじぶんのいけんをいえば、いいんだよ」と。

・・・いつもいつも、どらえもん、、、一同、一瞬かたまったのち、微笑。。。はるくん、ナオもせいいっぱいにハルを心配しているよ。
パパ「じゃぁ、ナオちゃんはどうだ。役に立たないどころか、、逆に、手間がかかるようなこと、迷惑なことばかりするときもあるけれど、、、いなくていいって思う?」

ハル「そんなこと、思わないけど、、、」

ママ「じゃぁ、ママがもし、病気になって、何もできずに、ずーっと寝てるってことになったら、、、どぉ?いないほうがいい?」

ハル「いやだ、病気でもなんでも、いてほしい。。。そうか、、、しくしく、、、いるだけでもいいってこともあるのか、、、しくしく」

・・・ハルをぎゅーっと抱きしめて、頭をなでなでして「はるくんはママたちの、宝物だからね。。。ママたちのそばにいてくれてありがとうってホントに思うよ。それからね、生きる意味ってのは、創っていくもので、与えられるものではないんだよ」って伝えて、なんども鼻をかんだ後、就寝。

あぁ。役に立つとか、立たないとか、表面的で短絡的な「有用性」の有無で人間を切り捨てるような、そんな考え方が主流になっている世の中ってのは、こんな8歳のこどもに「自分が役に立っているかどうか」と悩ませるのか。

これが20歳の子なら、しくしく泣いてる暇があったら、サルトルでも読め、と言うところだけれど、、、この場合、「自己存在を肯定してくれ」という願いというよりは、「ママの役に立ちたい」という優しさゆえのこの問いだったと思うので、、、ね(、、、あ、そうか、同じような語彙で構成される「問い」でも、答えはその都度、変わる必要があるってことか)。

・・・実存は本質に先立つ。

はるくん、意味なんてのはね、先に「わかっている」ようなものじゃぁないんだ。もっというと、「このことには意味がある」という断定、「意味があるからやる」という態度は、、、ママは、不遜な生き方だと思う。

意味ってのはね、あとになってやっと「こういうことだったのか」ってわかることもあるし、もしかしたら、わからないままである場合もあるだろう。

それでも、わからないけれど、きっと人生には意味がある。誰のいのちにも意味がある。そう、信じていこうよ。そのほうがずっと楽しい。

・・・とにかく、はるくん、生まれてきてくれてありがとう。キミがママのもとに来てくれたことには意味がある。うまく言えないけれど、意味があることは確かなことだから、もし、、これから、、、不安になるときがあったら、いつでもママのところにおいでね。

2012年8月28日 (火)

勢いよく挙手したものの、テヘヘなナオ。

今朝、保育園で。私が準備をしていると、紙芝居を読み終えた先生が「かまくらに入ったこと、あるひとー」と皆に問いかけた(早い時間だったので、2歳から6歳までの異年齢集団で)。

すると、ナオがひとり、無言で右手をピシッと挙げていたので、「あら、ナオちゃん!そうなの?かまくらに入ったことあるんだ!すごいね!」と驚いたように先生。強く二度、肯いたナオ。。。けれど、、、ナオって、、かまくらに、?、、そんなこと、あったっけか。

と、思っていたら、ナオがコソコソっと私の傍にやってきて、「ママ、なおちゃんって、かまくらに入ったことあったっけ?」と耳打ちしてきた。。。困った私は、、「えーっと、、、ないかもしれないねぇ。。。ハルがかまくらに入っているお写真はみたことある、、かもしれないね、、、」と小声で答えると、にっこり微笑んで、また「紙芝居の輪」の中に入っていった。。。

・・・自信満々に挙手したものの、不安になったんだね。ま、そんなこともあるさ。

なんだかコソっと事実確認にきて、テヘヘっとなって戻っていく感じが、なんとも律儀で可愛くて、、、爽やかな朝だった。

2012年8月27日 (月)

ご機嫌と不機嫌のパワー。

先日、みんな(ハル、ナオ、ミオ=従妹)でわいわいアイスを食べていたら、、、知らぬ間に「わいわいしている子ども」がひとり増えていた(ハルとナオの間に)。・・・楽しそうな雰囲気ってのはなんとパワフルなことだ、ホントに人を引き寄せるんだ、と驚いた出来事。

これとは逆に、「不機嫌」もパワフルだから、、、気を付けなければならない。081812




自分の中にある闘いや自身の不寛容による「不機嫌な雰囲気」が、周りの誰かに嫌な思いをさせないように、ということは言うまでもないが、、、

誰かの「不機嫌」に出会うとき、それを何とかして変えてやろうと思って苛立ったり、

それができなくて落ち込んだり、より強力な不機嫌で対抗してしまったり、、、っていうのは、誰かの不機嫌に巻き込まれる(=客体となること)ということ。

そんなつまらないモノに気持ちを支配されるのではなく、「不機嫌」に「笑顔」で対応することで、私は主体的に生きることができる。

・・・って、金曜の夜からはじめた「ニコニコ人生プロジェクト」。やり始めたら、かなり頻回に自分の心が波立っているのに気付いた。。。

いつも喜んでいよう、、、

ってのは、とてもとても難しいから、何度も何度も繰り返し唱え続けなければならない。

簡単なことがいちばん難しい。

2012年8月25日 (土)

見えているのは「見たいもの」だけ。

昨朝、歩道橋で。

「ここにしゃがむと、下の方の階段、ホントは端っこだけが黄色なのに、全部が黄色く塗ってあるように見えるんだよ」とハル。082412


・・・こんな「発見」をそこここで楽しんでいるから、帰宅時間が一定しないんだね。

久々の歩道橋、ハルとふたりで渡る歩道橋は、オトナになって、忙しくなった私に、「見えているものは、見たいもの」であるということ、

「見えていないものは、見ようとしていないもの」であって、確かに「そこにあるのに、見えていないもの」が多くあること、を再認識させてくれた。

感謝。

真相は、、、みかけによらない。

通りすがりの人には「兄が妹に意地悪してる」ように見えるだろう、、、082512




けれども、実際は逆で、、、

少しでもハルが手を休めると「ちょっと!!!パル!!なおちゃんに、もっとみずをかけてって言ってるでしょ!」とナオ。

「もういいんじゃないの?」と言いながら、渋々従っているハル。



・・・こんなことは日常に溢れているのだろう。おそらく私も、私自身の先入観が生んだ誤解によって、不要で不毛な苛立ちや憤りに悩まされているのかもしれない。

こっちに理があるとか、どっちが悪いとか、そんな「判断」はきっと、私の領分ではない。

2012年8月24日 (金)

歩道橋。

二人でお散歩しながら学童クラブへ。

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学路どおりに歩きたい(=歩道橋を使いたい)、ママには筋トレが必要だ(うるさい)、、、

というハルの強い申し出により、真横に横断歩道+歩行者信号があるのに、歩道橋を使用(通学路、意味不明。この歩道橋自体、存在意義も不明)。

階段を上って、横をみたら、、、信号が青だったので大笑い、のハル。

さ、今日も頑張ろう。

2012年8月23日 (木)

めるちゃんも大変だ。

火サス、再放送の画、的な。082212


・・・昨晩、

メルちゃんがこんなことになってて、

ギョッとした。


2012年8月22日 (水)

ハルの成長-愛の溢れる場所

8月1日から長岡に滞在していたハルは、、、大きくなっていた。

チューイングガムで風船をつくれるようになってたし、九九も完璧になってたし(じいじオリジナルの九九プリントと、実行部隊のぱあばのおかげさまw)、、、

否、何が出来るとか出来ないとか、そんなことじゃなくて、前にもまして優しく、頼もしくなっていたように思う。

・・・私の膝の上に頭をのせて、べたべたくっついてくるハルの表情は081712

それはそれはあどけなくて、、、

まだまだ私にとって「可愛い可愛い赤ちゃん」なんだけども。

じいじ・ばぁばはもちろん、いもうと家族、そして長岡教会に集うみなさん、、、

とにかく、ハルの周りにいてくれる愛情いっぱいのステキな皆さんのおかげ。。。感謝。ひたすらに感謝。



私も、いつか、たくさんの人が気持ちよく集える「場所」になりたいと思う。

2012年8月21日 (火)

なお3歳vsはる8歳の「アンパンマンかるた対決」

「それは、なおちゃんのだった!」と叫びつつ、
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ハル(←意外に真剣になって楽しんでた)がとった札を奪いに行くナオに一同、爆笑。082112_2


















このナオに勝てる人は、、、ウチにはいない。
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2012年8月17日 (金)

トキメキか、ダンシャリか。

未来は予測不能だけど、過去については判断できる(「いつか使うかも」の可能性ではなく「この数年、使わなかった」という事実に立つ)ってことね、なるほど。

・・・となると、ときめきのコンマリは現在を重視して、現在から未来を創ろうとする立場なのかな(「今、トキメクかどうか」、つまり、「今の自分」が判断基準。その「トキメキ」を必要とする未来を創りたいか、といったら換言しすぎか)。

そんなことどっちでもいいから、考えてる暇があれば片付けろ、だな。

2012年8月16日 (木)

目的は何か- ルールとお盆

従姉兄の子どもたちと実家でワイワイ。「はとこ集団」の一部が偶然にも3歳児3人(5、6、9月生まれ、、、だから、1人はまだ2歳か)の「かしまし娘」。

意外に落ち着いて楽しめた「黒ひげ危機一髪」だったけれども、、、次第にローカルルールが誕生。

はじめに「黒ひげ」を飛び出させた(=負け)のはナオだったけれど、、、飛び出てきたことに3人は大喜びで、、、「次はYちゃん!」「Rちゃんもっ!」と、、、「飛び出させた人が勝ち」のルールになるのは当然だったし、0816123

となると、はじめはちゃんと順番に一本ずつ剣を刺していた3人だったが、、、5ゲーム目くらいになったとき、「なかなか思うようなタイミングで飛び出ない」ことに業を煮やしたナオはいきなりのスタートダッシュをきめたし
(3本刺してた。。こんな暴挙にも、あとの二人は「我関せず」のスルー。。。なんなんだ。。。)、、、

・・・遊びのルールってのは、楽しく遊ぶためにあるものであって、その目的のために、ルールは変化してもよい、むしろ、変化したほうが良いこともある、、のかもしれない。

ナオは当初、「Rちゃん、Yちゃんとは遊ばない!」(=その日の夜に帰省予定だったので、早く長岡にむけて出発したい)と泣いて怒っていたけれど「みんなと仲良くできない人はどこにも遊びに連れていけない」と諭したら、、、数分後、いきなりRちゃんをハグして、笑顔をつくって仲良しアピール。。。

「くろひげ」でRちゃんとYちゃんの間に小さなバトルが勃発したら、すっと席を立って部屋を出て、廊下を歩きながら「さ、ママ、ながおか、いこうか。なかよくあそんだから、そろそろながおかにいけるでしょ」とナオ。。。唖然。

・・・そしてしばらく曾祖母の部屋でTVをみてから、みんなで記念撮影して長岡へ出発(5日間滞在して、昨日、ハルとともに帰宅)。

あぁ、お盆。いつも別々の場所で、ほとんど接点のない生活をしている親族が、同じところに集まって、ちょっとだけ同じ方角に顔を向けていることの不思議。

お盆ってのは、「死んだ人を想い、祖先の霊を弔うため」のものかもしれないけれど、きっとそれは「生きてるみんなのため」なんだと思う。

・・・色んな意味で、そう思う。

2012年8月14日 (火)

「なにがしたいかわからない!」-ナオの叫び-

昨日は朝昼夕晩の4回ほど、ナオと大ゲンカ(3歳児相手に私は何をしているのか)。

例えば、朝はナオが「ふりかけごはんをママが混ぜちゃダメだった!」と喧嘩を売ってきたので、「ママは混ぜてない。ナオちゃんが自分でしたんでしょ」という、、、なんとも些細なことがきっかけで、、、最終的に二人で大きな声で(ナオは号泣)、バトル。

「結局、何をどうしたいの?何が言いたいわけ?」と聞けば、
「なおちゃんはね、なにがしたいかわからないんだよ!!」と絶叫するナオ。
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・・・そっか(ここで雪解け)。


「なにかよくわかんないけどむしゃくしゃしてた」んか(←それは眠いってことだと私が決めつけるとさらに激昂するので要注意。。。)。

イライラするときってのは、原因がひとつってわけでもなく、きっかけは一つかもしれないけれど、複合的に色んな鬱積した要素が絡み合ってるものだもんね。それは3才だろうと、35才だろうと一緒なんだろうね。


何かを誰かのせいにしたり、モノに八つ当たりをしたり、、というときには、ちゃんと謝るまで、とことんまでゆるさないけれど(鬼だ)、

「自分ではどうすればよいかわからないけど困っているナオ」が素直に出てきたときに、すぐに赦して、慰めて、仲直り。(「出川と上島」みたいに、チューして、ハグして、いちゃいちゃして、好き好き言い合う。。)。

・・・この話をしながら、ナオって人は「ザ・喜怒哀楽」だな、と思ってたら、「ホント、あなたにそっくりだよね」とパパ。くーっ。

*写真は、部屋用の消臭スプレーを「蚊がいるから」ってシューシューしまくるナオを注意したら、いきなり、「徳を積み始めた」、、、ので、ケンカが回避された、の図。

・・・ナオめ、心得ておるな。

2012年8月12日 (日)

「重荷」というもの。

★「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6:2)

★「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」(同6:5)「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

「重荷」には二種類があって、自分独りで担うべき「重荷」と、誰かに助けを借り、一緒に担ってもらうことによって、はじめて負うことができる「重荷」がある、とか。

・・・この二つを混同してはならない、というのが今日のメッセージにあった。092409




ひとりで何でも背負い込むのも(これは人を信頼していない態度で、自己過信・自己中心の結果。自分が頑張ればなんとかなるという傲慢)、

他の人の問題を肩代わりしてしまうのも、自分の問題を他人に責任転嫁するのも、いずれも良いことではない。

どうしようもなく行き詰ったとき、その問題の本質をきちんと捉えて、

謙虚で柔和な心で、誰かに「助けてください」と言える人になりたい。

そして、「助けてください」と言ってもらえる人に、なりたい。

サービス精神旺盛なナオ。

日曜日@教会。Yさんが買ってきてくれたブドウサイダーを「えんりょしないで、さぁ、どうぞ」とナオ(3杯ともYさんにwニコニコしながら飲み干してくれたYさんに感謝)。

なおちゃんも頂いたら?と言いつつ、飲んだ後の表情を撮りたくてカメラを向けると、

「はい、これでどぉ?これ、おしゃしんとっといて、それでいいんでしょ!」と「すっぱい顔」をつくってナオ。

・・・そういうのをオトナの世界では「ヤラセ」と呼びます。081212




このときは唖然としつつも、その口調と手際の良さに笑ってしまったけれど、後に少し反省した。

「笑って!」とか「可愛い顔して!」とか、、、リクエストに応えて「表情をつくること」に慣れた子どもはこういった「ヤラセ(=事実ではないのに、事実であるかのようにみせかけること)」にも抵抗がなくなってしまうのかもしれない。

「表情の作り方」に長けた子どもは、とりあえず笑っておこう、とりあえず泣いておこう、とりあえず落ち込んでおこう、、、と相手の意図を読んで、過剰に感情を表出させ(たフリをして)、いつしか「バラバラで統一のとれなくなってしまった心と身体」に悩むことになるのかもしれない。

・・・とはいえ、私は親だから、これからも色んな種類の「リクエスト」を繰り返すことだろう。ただ、それと同時に、本気で笑って、本気で泣いて、喜怒哀楽をともに分かち合って、ありのままのキミが大事、そのままのキミが大好き、って伝え続けなきゃって思う。

2012年8月 6日 (月)

「平和の誓い」と私の決意。

《備忘録》子ども代表による「平和への誓い」(後半部のみ抜粋。2012年、広島平和記念式典)と、私の決意。

***************引用、ここから

つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、
わたしたちは、想像することによって、共感することができます。

悲しい過去を変えることはできないけれど、
わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。

平和はわたしたちでつくるものです。
身近なところに、できることがあります。
違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。
思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。

わたしたちは、平和をつくり続けます。
仲間とともに、行動していくことを誓います。

****************引用、ここまで

・・・身近な「平和」をつくり続けたい。今日から、今、この瞬間から、はじめられることがあるはずだ。

「ナオ(和緒)」は、平和のいとぐち(はじまり)になってほしい、平和を創る人になってほしい、という祈りが込められた子ども。(ちなみに、ハルタロウ(晴太郎)は、晴天の爽やかな青空のように、みんなの気持ちを清々しくする人になってほしいという願いが込められている。。。)

親が「言うように」ではなく、「するように」育つのが子ども。
まずは、自分から!他でもない、私自身が平和をつくり、広げていこう。

2012年8月 5日 (日)

試験というもの。

日曜は保育士試験を受けた。解答速報によれば筆記は合格(10月に実技)♪ あーーーー!!!よかった!

試験会場で、持参した筆記用具(朝、ハルの机から適当に拝借。

筆箱はポケモン。。。「いい歳こいて、どんだけポケモン好きなの、あの人、と思われていないか、と考えている自分」に笑えてきた。。。)をみると、六角形の鉛筆が「さいころ」のように転がして遊ぶようになっていたのだけど、、、どの面になっても悲惨だったので(大凶、凶、バカ、大凶、大凶、カス、、、)、その鉛筆の使用は避けた。

そしてほかの一本には「第一志望は譲れない 駿台予備校」と書いてあった。080512




やばい。懐かしすぎる。。。

しかし、これもたいして縁起が良くないので、避けといた(どんだけ無駄なモノを持ち込んだんだ、私は)。


・・・ま、いくつになっても試験ってのは、緊張するもんだ。

いや、受験料の1万円強がモッタイナイ、来年になったら更に脳が老化する、体力が落ちる、、、という気持ちが強い今のほうが、昔よりずっと緊張するのかもしれない。

2012年8月 3日 (金)

ばぁばとナオ。

母親の勤務先で。080312_2


母がそこら辺にあった段ボールをクルッと裏返してマジックで「ナオの顔」を描きはじめた(こういう遊びを何の躊躇もなく、ぱっと始める「センス」がスゴイとつくづく思う。絵のセンスは残念ながら皆無だけれど、、、)。



・・・緊張の面持ちで正座するモデル・ナオ。


お膝にある両手の力の入れようがなんとも可愛い。

ナオと自分が遊ぶのも楽しいけれど、遊んでいる姿をちょっと離れてみるのも、「いろんなナオ」を感じることが出来てまた楽しい。

2012年8月 1日 (水)

「発見」とは何か。

こないだセントレアで、ハルが「ハイチュウを長く味わう方法を見つけたから写真撮って!」と言って口を開けた。

・・・う、うわあごに貼ってあるんだね。080112




しかしそれは、、、実をいうとママもよくやるワザだ。

何か新しいことを「発見」しようと思ったら、その事柄についてよーく調べないといけない。

まず、「何がまだ見つかっていないか」を知らなくてはならない。

つまり「見つかっていること」に熟知している必要があるのだよ、ハルくん。

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