2013年3月24日 (日)

二年連続皆勤賞のハル。


一昨日はハル、二年生の修了式。
本人としては「通知表の成績が予想より伸びなかったこと」が悔しいようだけれども(へー、悔しがるんだーと思って嬉しい。私はとても良い成績だと思うけどね)、、、
皆勤賞、二年目!!!という偉業を達成。すごい、ホントにすごい!
なによりこれが嬉しい♪(ホッとしたのか、昨日から胸の痛そうな咳をし、鼻をすすってる 苦笑)
・・・来年度も、毎日を元気に明るく、全身全霊で楽しんでほしい。
私にできるハルへの最高のプレゼントは、心身の健康を守ること。

親は「温かい食事と温かい布団」の用意「だけ」しとけば、子は健やかに育つという。ま、これが一番大変なんだけど。。。

「温かさ」とは何か、「食事」や「布団」の含意するところは何か、と考えると、、、さらにこの言葉は深まるんだろうな。
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2013年3月23日 (土)

心の中の鬼退治。

掃除をしていたら、昨年の節分の際に小1だったハルがプリントされた「鬼」に色塗りをして、「自分の中の『鬼』」についての想いを記した画用紙が出てきた(おそらく「自分の中の『鬼』を外に捨てよう」という趣旨)。

「いもうとのいけんをきかない自分の気もちを なくしたい」

・・・当時2歳の傍若無人で理不尽な妹・ナオの「いけん」を受け容れられるように、自分を変えたいというのか。

自己中心的な我が身を省みて、絶句した。

・・・ハルと出会えたことを、心から感謝した。

この記事は、上の「オニ」と格闘する半年前、ハルが年長さんのときの言葉。記録は記憶をよみがえらせる。

2013年3月19日 (火)

卒業するキミたちへ。

今日は非常勤先の卒業式。031913

非常勤で大学・専門学校で授業をするようになって10年になるけれど、今年は「気になる子」が多かったので(笑)、その子たちの晴れ姿を一目みて、直にお祝いしたいと思い、初めて卒業式に出てみることにした。

卒業証書授与の際、一人ひとりの名前が呼ばれ、学生たちはそれぞれに「はい」と応えるが、各々の発する「二文字の『はい』」から滲み出る個性の全てを美しいと感じ、いたく感動した。まさに「みんなちがって みんないい」。
(ちなみに、前日までは、考えるだけで涙が溢れたけれど、本番は「仰げば尊し」を聴くまで泣かなかった!)

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みんな、ご卒業おめでとう。ホントによかった。うん、よかったね。あー、よかった。

今日、やっと「スタートラインに立つための、準備運動が終わった」みなさん。
保育士や幼稚園教諭として仕事を担ってからやっと、あなたがたが「いみわかんない」と思っていた授業の断片が繋がり始めます。

「わからないこと」の中に、たくさんの重要なことが隠れています。
「わからないこと」を「要らないもの」として切り捨てて、忘れてしまわないで。
「わからないこと」をそのモヤモヤのまま持っていることは辛いことかもしれないけれど、時間と経験を重ねてはじめて「わかった!」と腑に落ちる瞬間がやってきます。
ただ、、、それがいつかは「わかりません」。
でも、その「わからない」を心に留め、折に触れて想い出し、考え続けていればかならずその「わからない」が「わかった!」に変わる「とき」は来ます。そう、必ず。

あなたがたは可能性に溢れています。
私の96歳の祖母の話をしましたね。
私の顔を忘れてしまうほどの祖母にも、予想以上の「学びの瞬間」はやってきたのですから、若いあなたがたにはこれから先、想像を超える大きな「学びのとき」が何度も何度もやってくることでしょう。

おひとりおひとりの創る未来が、希望溢れる平和な世界の礎となりますように。
あなたがたが、子どもたちとともに、より善い人間に育ちますように。

心から期待し、お祈りしています。

追伸 
卒業を先送りにした君たちへ。

学生でいられる期間(=モラトリアム期 ←授業でやったね)が、少し伸びたことを「ありがたいこと」、「よろこばしいこと」と考えて、あと半年か一年か、、、わからないけれど、、、今まで以上に、じっくりと懸命に学んでください。
いつでも質問は受け付けますからね♪ 
必ず卒業して、ケジメをつけること。これは約束してね。

2013年3月18日 (月)

ん の 威力。

ナオが魔法をかけるときの呪文 「ちんちん ぷいぷい~」

・・・ん? ん が多くないかい?

2013年3月14日 (木)

思い煩うことの無意味。

ナオはここ1か月ほど、朝、布団から出てきてトコトコ歩いてきて開口一番に「きょう、ほいくえん、おやすみ?」と聞く。

「いや、今日は保育園、お休みじゃないよ」と応えると、大泣き。
(しばらく泣かせた後に「じゃぁ、『デザインあ』でも観てから行く?」と聞くと「そうする」と落ち着く。。。なんという儀式!)

・・・「おやすみだよ」「あはーん、うれしいいいぃぃ、おやすみなのぉ??」となる日は、7分の2だというのに、飽かずによく聞くもんだなぁと想うと笑えてくるけど(笑うと余計に怒って泣きポイントが移動する)、、、

今日は、久々に開口一番には「きょう、おやすみ?」と聞かなかった(しばらくして後、問うて泣いたけれども)。

・・・いつもと何が違ったのだろうか。明日はどうだろうか。

予測不能なことを、思い煩うのはよそう。

2013年3月11日 (月)

いのちを数字で捉えて見失ったもの。

人のいのちは足し算できる「数字」じゃない。ひとつ、ひとつがかけがいのない、唯一の輝きをはなつ温かさを持っている。

99年に祖父が亡くなって、寒がりの祖父の胸とお腹の上に大きなドライアイスを乗っけられて、そこから冷やされていく身体とまだ温かい足を触って想ったことは、、、 いのちとはぬくもり だということ。
・・・2万件のひとつひとつの「事件」に嘆き悲しんでいる人はもっともっと多い。
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この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
(ビートたけし)

2013年3月10日 (日)

「正しさ」の目的。

「正しさ」について、昨日(というか今朝)の政治屋たちの「大激論」をみながら思ったこと。

河村たかしが名古屋市職員の平均年収を下げたことを誇らしげに語るのに対して、片山さつきが平均収入なんて、内訳がどうなってるかわからんのに、そんなものを比較しても意味はないとか、カットしたとはいえまだ高いとか、河村の主張の「間違い」を懸命に指摘し、自分の「正しさ」を繰り返し叫んでいたのを聞き、どうして片山さつきの言うことは正しいのに共感できないのか(共感どころか辟易する、、、)、を考えていて、わかったこと。

それは、片山が主張する「正しさ」が、河村に「自分が間違ってた、参りました」と言わせるため「だけ」のものに聞こえるから、なんじゃないか。誰かを負かすこと、それが目的の「正しさ」だとすれば、なんとも醜い。

・・・「平均」にさして意味がないことなんて、誰でもわかる。

100点が5人、0点が5人のクラス...の平均点は50点。
60点が3人、50点が4人、40点が3人のクラスの平均点も50点。
この2クラスが「同じ」雰囲気だ、なんて誰が思うだろう。

平均収入を下げるには、低い収入の人を大量につくれば、高収入の人が少々いたって構わないのだから、、、片山の主張は「正しい」し、河村に「勝ち目」なんてない。

なのに、なぜここまで執拗に片山は河村に「オマエハマチガッテイル」と言い続ける必要があるのかと思うと、河村自身に白旗を揚げさせたい(そうして「河村を降参させた自分」の優位を他に示したい)だけ、と考えるほかない。

政治屋さんたちの議論(というか、各々の主張対決)は、往々にしてそういうものだ。自分が他より勝っていることを顕示するだけのために自分の「正しさ」を大声で叫ぶ。

目的が自分にあるのではなく、社会的弱者のために、声をあげることすらできない苦しみの中にいる人たちのために、「正しさ」が叫ばれるとき、それは美しく、共感できるものになるのだと思う。

そういう政治家たちの対話なら、何時間でも聴きたい。

2013年3月 8日 (金)

朝の3分がうみだす心の余裕。

ハルの分団登校、昨日の「分団登校会議@小学校」の結果、集合時間が7:57から8:00になったらしい。ハルは、「この3分の違いはおおきいなー!なんて余裕がある朝なんだー!!」とニッコニコではしゃぎまくり、私にベタベタしっぱなし。


「いやいや、3分だよ、アホなことしてないで早く支度しときなさいってば」
「ママ、3分もあるんだよ!!大丈夫だって、うっほほー、よゆー」

・・・8歳にして朝の3分の重要性に気づくとは。

2013年3月 1日 (金)

嫁にいくとか、いかないとかの問題じゃない。

お雛様を飾ろうとして気づいた。

鯉のぼりと七夕飾りがまだ出てるじゃないか!!

(。-_-。)

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2013年2月27日 (水)

2年生最後の授業参観、「ありがとうの会」。

今日はハルの授業参観。
はじめはクラスの一人ずつが前にでておうちのひとへの感謝の手紙を読む「ありがとうタイム」。。。チーン。その「予定」をきいただけで涙。さよならアイシャドウ、さよならチーク。
私は全員の手紙に泣き、ハルの時はァハンってなるほどに泣いた。・・・なんだこれは、卒業式か。

手紙は、「○○をしてくれてありがとう」という感謝の気持ちと、「こんなことができるようになりました」という報告と、「これからはこんなことをするよ」という宣言の3部構成。
...
「できること」として、二重とびや逆上がり、九九などを挙げる子どもたちの中で、ハルひとり「ボクは恥ずかしがらずに、自分から 友達になって、と声をかけて、友達をつくれるようになりました」と言った。
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秋から冬のはじめぐらいだったか、鉄棒や縄跳びで、「○は何ができてスゴイ、ボクと▽はまだ出来ない、◎は云々」と、毎日のように聞かされていた時、私は「なにかの『技』ができるようになったとき、その結果はもちろん素晴らしいけれど、その過程においてキミの心が何を学んで、何を感じたかってのにもちゃんと目を向けられる人になれるといいね』といったことがあるのだけど、、、その私の言葉、、、ちゃんとハルに届いていたんだね。

それからハルは最初に「お母さん、ボクはこんなに大きくなりました」と読み上げると、、、感極まって、声を詰まらせた。口をときおりへの字に結んで、赤ちゃんのときと同じ「泣き顔」をみせながら、でも涙は堪えて、最後まで読み切ったハル。・・・結婚式はもう無理だ。




プログラム2番は「歌のプレゼント」(いきものがかり「ありがとう」にのせて、全員でメッセージ+歌)。みんなの声は、偉そうなことを言うくせに、まだまだ「子どもの声」、なんとも愛おしい。

最後は「普段の様子」として二人一組になっておこなう、今までのしんみりした雰囲気をめっちゃくちゃになぎ倒す怒涛のような騒がしい「計算練習」。笑。

行って良かった。行けて良かった。

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